夢の途中
Road1095
過去から未来へ。
日々は刻々と流れていく。
自分の時はどうだったのだろうと思い返した。
たしか早稲田大学に見に行ったのだと思う。
受験したのは早稲田大学本庄高校という埼玉の高校なのだが、
家から二時間弱かかることもあり、東京の受験生が多いこともあって、
大学でも合格発表をやっていたのだ。
831という数字を「やさい」と覚えて、
その数字を祈って探していた。
無かった。
慶應も受けたのだが、
そっちは簡単な三平方の定理を間違えていたことが分かっていたので、
多分無理だろうと思っていた。
塾に帰り、
慶応の発表を見に行っていた先生と友達から自分の番号がなかったことを知らされる。
「自分の目で確かめてきなさい」と言われ、
そこから日吉へ。
無いものを見に行くというのは今考えれば辛いことなんだけれど、
あの時の気持ちというものは覚えていない。
でも、早稲田がダメでも慶應がダメでも、
そんなに悲観してはいなかったかな。
中1の時は勉強ができなかったし、
中2の時は「駒沢大学」とかのページを見て「頭いいな~」と思っていたのを覚えている。
それが、中3で勉強してかなり成績が伸びた。
伸ばそうと思っていたわけではなくて気づいたら伸びてた。
法政は絶対受かると思って滑り止めで受けたから、
受かっててもなんの感想もなかったし、
出願の時も試験の時も発表の時も、
この学校に来ることはない、と思っていたから、
その三回で縁が切れると思っていた。
親が「絶対都立」と言っていたから。
それが兄の大学受験(全部落ちる)という影響もあって、
急転直下、親が「せっかく受かったんだし法政行けば?」
と言い出すのだから人生は何が起こるかわからない。
そんなわけで、受験勉強というのはとても受身だった。
毎日塾に通い4時間ぐらい集団授業を受けて。
帰ってきて勉強はするけれど、
自分の学力をあげたいというよりは、
どちらかといえば、先生に褒められたり、怒られたくなかったり、周りに抜かれたくないという気持ちでやっていたのかもしれない。
だから、落ちたのかもしれないね。
何が起こるのかわからないのが受験。
家から二時間弱かかることもあり、東京の受験生が多いこともあって、
大学でも合格発表をやっていたのだ。
831という数字を「やさい」と覚えて、
その数字を祈って探していた。
無かった。
慶應も受けたのだが、
そっちは簡単な三平方の定理を間違えていたことが分かっていたので、
多分無理だろうと思っていた。
塾に帰り、
慶応の発表を見に行っていた先生と友達から自分の番号がなかったことを知らされる。
「自分の目で確かめてきなさい」と言われ、
そこから日吉へ。
無いものを見に行くというのは今考えれば辛いことなんだけれど、
あの時の気持ちというものは覚えていない。
でも、早稲田がダメでも慶應がダメでも、
そんなに悲観してはいなかったかな。
中1の時は勉強ができなかったし、
中2の時は「駒沢大学」とかのページを見て「頭いいな~」と思っていたのを覚えている。
それが、中3で勉強してかなり成績が伸びた。
伸ばそうと思っていたわけではなくて気づいたら伸びてた。
法政は絶対受かると思って滑り止めで受けたから、
受かっててもなんの感想もなかったし、
出願の時も試験の時も発表の時も、
この学校に来ることはない、と思っていたから、
その三回で縁が切れると思っていた。
親が「絶対都立」と言っていたから。
それが兄の大学受験(全部落ちる)という影響もあって、
急転直下、親が「せっかく受かったんだし法政行けば?」
と言い出すのだから人生は何が起こるかわからない。
そんなわけで、受験勉強というのはとても受身だった。
毎日塾に通い4時間ぐらい集団授業を受けて。
帰ってきて勉強はするけれど、
自分の学力をあげたいというよりは、
どちらかといえば、先生に褒められたり、怒られたくなかったり、周りに抜かれたくないという気持ちでやっていたのかもしれない。
だから、落ちたのかもしれないね。
何が起こるのかわからないのが受験。
早稲田も慶応も、
合格すると思ってもいなかったし、不合格になるとも思っていなかった。
行けたらいいなとは思っていたけれど、
行けるとも思っていなかった。
つまりどこの学校に対しても、そんなに思い入れがなかったのかもしれないね。
自分に根拠のない自信は持てていたけれど、
落ちてがっかりすることもなかったし、涙も出なかった。
きっと自分には合わないんだろうと、そんなことを思っていたのかな。
行けたらいいなとは思っていたけれど、
行けるとも思っていなかった。
つまりどこの学校に対しても、そんなに思い入れがなかったのかもしれないね。
自分に根拠のない自信は持てていたけれど、
落ちてがっかりすることもなかったし、涙も出なかった。
きっと自分には合わないんだろうと、そんなことを思っていたのかな。
高校はそんなわけで法政一高に行って。
3年間ずっとクソ学校だと思っていたけれど、
あの環境(あのユルさ)は後々考えると自分に合っていたのかもしれない。
早稲田や慶應に入っていたら、
3年間ずっとクソ学校だと思っていたけれど、
あの環境(あのユルさ)は後々考えると自分に合っていたのかもしれない。
早稲田や慶應に入っていたら、
周りが凄すぎて落ちこぼれていたかもしれない。
逆にもっと最強な人間になっていたかもしれないけれど(笑)。
昨日そんなことを思い返していた。
受験勉強をずっと一緒に頑張ってきた生徒を不合格にしてしまったからだ。
泣きながらかけてきたあの電話。一生忘れることができないだろう。
その子は自分とは違って、
120%、志望校に入りたかったはずだ。
そのために今までひたむきに頑張ってきた。
やりたくないことも努力してきた。
その未来の芽を自分は活かしてあげることができなかったのだ。
種を植えることができなかったんだな。
そう思うと、とても苦しくなる。
受験は何が起こるかわからない。
逆にもっと最強な人間になっていたかもしれないけれど(笑)。
昨日そんなことを思い返していた。
受験勉強をずっと一緒に頑張ってきた生徒を不合格にしてしまったからだ。
泣きながらかけてきたあの電話。一生忘れることができないだろう。
その子は自分とは違って、
120%、志望校に入りたかったはずだ。
そのために今までひたむきに頑張ってきた。
やりたくないことも努力してきた。
その未来の芽を自分は活かしてあげることができなかったのだ。
種を植えることができなかったんだな。
そう思うと、とても苦しくなる。
受験は何が起こるかわからない。
自己採点では合格点に達していたし、
おそらく合格すると思っていた。
しかし結果が全て、
成功体験を積ませてあげたかったというのが本音だ。
しかし、
これで人生が決まるわけでもない。
自分の人生は、自分だけで決めることができるわけでもない。
成功体験を積ませてあげたかったというのが本音だ。
しかし、
これで人生が決まるわけでもない。
自分の人生は、自分だけで決めることができるわけでもない。
努力しても、報われないことだってある。
けれど、
大事なことは「努力すれば報われる」と信じて、前に進むことだ。
けれど、
大事なことは「努力すれば報われる」と信じて、前に進むことだ。
うまくいかなくても、
心の火を灯し続けて、
人生を豊かにしようと思うことだ。
本人の気持ちを思えば、
何日かふさぎこんでしまうのかもしれない。
何ヶ月か、何年か「~だったら」と思うことがあるかもしれない。
しかし、自分はその子のことを信じている。
そして、将来を信じている。
だから、心に火があるならば、
それがどんなに小さくても、
それを穏やかに灯し続ける存在でありたいと思う。
人生には、どうにもならないことがある。
しかし、その「どうにもならないこと」が、
未来の幸せのきっかけになることだってある。
それが、
「何が起こるかわからない」ということだ。
もちろん昨日の今日で、こんなこと本人には言えないけどね(笑)
結果が全て。
しかし、過程を大切にする人生を送っていきたいと思っている。
まだまだ夢の途中。
今日からまた頑張ります!
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
さすが東京人が受ける学校は凄いね。
田舎者にはそんな選択肢なかったよ笑
不合格になっちゃった子、これからもがんばってほしいね。
俺も小6で第一志望に滑って、その後6年間腐って下降線を辿った日々を思い出したわ。
投稿: cassano | 2013年3月 2日 (土) 11時57分
>cassano
挫折っていうのは大事なのかな。
おれにしてもcassanoにしても挫折だとは思っていなそうだけどね。
でも、今幸せかと聞かれれば「幸せ」だと答えるわけだから、
一つ一つの事実が不幸を導くわけではなくて、どう考えるか、どう捉えるかなんだなぁと改めて実感。
投稿: sing-o | 2013年3月 4日 (月) 11時32分